絆いわて〜ふるさとは負けない〜

IBC岩手放送「絆いわて〜ふるさとは負けない〜」
で「がんばっぺし!大槌」を立ち上げた経緯や
思っている事を伝えた。

5分間という短い時間にどれだけお話し出来るか
時間との勝負(笑)だったのでめちゃくちゃ焦ってしまったけど...

今伝えたい事は、町の復興の事。
これ1つ。

大切な事は、考え行動する事。
わかりやすく言ったら、一人一人が町長になったつもりで大槌の事
を考えてみる。生活=政治だからね。

役場がやってくれない
人手が足りない
時間がない
金がない

だからやれない。
じゃなくて、

だったらどうするか?
を考えて、思っている事を勇気を出して、口に出す事が大切だと思う。

東京にいて、大槌を見ていると、大槌町の中でも
安渡や吉里吉里の活動が活発に見える。

どうしてだろうと考えた時
もともと、安渡地区や吉里吉里地区は、地域の団結力が強く
自治会やコミュニティの中にしっかり「リーダー」や「組織形体」
という基盤があったからなんですよね。

だから、地区として避難所を中心にまとまっているし、
ボランティア団体も支援がしやすいのではないかなと感じた。

4月の連休、避難所の安渡小学校に行った。
そこで、佐藤翔くんという高校生にあった。
というか「会えた!」

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朝日新聞の記事がきっかけで歌手の黒崎真音ちゃんがチャリティライブを
した時に私も出演してお話をさせていただいた。

朝日新聞の記事によると
彼は黒崎真音ちゃんの大ファンで、携帯がつながるところまで出て来て
真音ちゃんのブログを見ている。真音ちゃんのサイン入りポスターが欲しい。
と新聞の取材で答えていた。

その記事を読んだ真音ちゃんが、チャリティライブを開催したのですが
大槌に帰ったら、その子に会いたいなぁ〜と思っていた。

私の同級生と一緒に安渡小学校に行ったら、彼から声をかけて来てくれた。
天真爛漫な笑顔がまぶしかった。

屈託の無い笑顔。
避難所のお手伝いを一生懸命していた彼の元気。

「若さ」は「未来」そのものだ。

大槌の未来を守る責任が大槌の大人にはある。
未来を創る責任だ。

大槌出身者で東京や地方で活躍している人がたくさんいる。
みんな大槌の復興の為に力になりたい!と強く望んでいる。

大槌町の役場の方。
断らないで、是非、差し出した手を掴んでほしい!!!

ある人の話です。
大槌町出身者で、東京で土木関係の仕事をしていて
ガレキの撤去やそれに伴う雇用までを視野に入れて
支援のお話を町に提案したが断られた。

すでに他のところにお願いしていたからという理由なのだが
合わせて「談合と言われたくない。」「一つの所とは手を組めない。」
との事だった。

後は、いろいろとある。
よくわかります。

いや、わかるけど...
でも、今はそれどころじゃないでしょと...
特に大槌町はそれどころじゃないでしょと...

お金も無く、人手もない。
だから支援をしたいんだ。

われわれ大槌出身者は、育ててくれた町への恩返しをしたくて
そして、やっと我々の出番が来たんだ!と、郷土魂というか
純粋な気持ちで支援をしたいと思っている。

逆に談合だなんだ言われた町だからこそ、大槌町出身者の支援も受けつつ
やれなかったのだろうか?と残念に思った。
(というか、この件に関しては県にお願いしてしまったから
町に町の決定権が無いのかもしれない。ので仕方が無いのでしょうが...
というのは私の感想です)

その方は、がっかりしたまま東京に帰られた。
でも、諦めないと言っていた。

町の復興案を具体的に町に提案する為にまた大槌に来ると。
復興は長期になるわけだから、自分も諦めないのだと言っていた。

ボランティア団体さんが町で集めたアルバム等の写真の展示会を
大槌小学校の昇降口で5月1〜3日まで開催していた。

その時に、本当はここに出している写真の10倍あるのだか展示する
場所が無くて展示が出来ない。
小学校の壁等、場所の提供をお願いしたが「子供の教育上悪い」という
理由で断られた。と言っていた。
では、他にどこか無いかと相談したが、断られただけだった。
ここの町の人は協力的な人が少ない。訴えても何も通らない。
と、何故か私に言われてしまった(笑)

「申し訳ないです」と誤り、私は、本当に悲しくなってしまった。

大槌町のメールマガジンで次回の写真展示会が5/20~22日にまた
大槌町小学校昇降口で開催される事を知った。

以前の改善点は改善されてるのだろうか...


大槌町は、役場機能の開始が他の町より1ヶ月以上は遅れているため
ガレキの町を眺め、何も進まず先が見えない不安にさらされている時間が
長かった。

だから町の人が「このままじゃいかん」「よしやろう!」と元気が出るには
まだまだ時間がかかるのかもしれません。

でも、そんな困難な中でも「このままじゃいかん!」「自分たちで自分たちの
町を創っていくんだ!」と考えている人が若い人たちの中で出て来たと聞きました。

そういう人がもっともっと増えていくように。

絆いわて〜ふるさとは負けない〜
負けないためにも、大槌町町民、大槌町出身者、支援ボランティア団体、大槌町役場。

絆を築かなくてはいけないと強く強く思います。
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# by otsuchi_s | 2011-05-19 04:03

2ヶ月経ちました

震災から2ヶ月経った。

大槌副町長に義援金を渡し、田舎の同級生や親戚。
大槌町出身者で帰省している友人知人と合って
東京に帰って来た。

父は未だに見つからないが、49日を過ぎた頃
伯母(父の姉)さんから電話が来た。

「弟が『おなかが減った』って夢に出て来たよ」と

父は死亡ではなくて、行方不明なんだ。
もしかしたら、記憶喪失で、どこかの町で
大けがをおって入院してるかもしれないじゃん。
ばかみたいな事言うけどさ...



行動に移す事に抵抗があったが、
私と母は、話し合って仏具を買いに行った。

簡単に仏具をそろえて、遺影を作り、お線香をあげた時
あの日からずっと混沌としていた気持ちが少し変わった。

3/11のままストップしていた気持ちが
明らかに変わった。
少し前に進んだ気がした。

父が行方不明のままの私たちの場合、自然の流れに任せていたら
いつまでたってもあの日のままだった。

時間を止めるのも、時間を前に進めるのも自分なのかもしれない。

毎日が進む。
私たちは生きなくちゃ行けない。

生きるなら、今を精一杯。
そして前を向いて未来を、明るい未来を創りたい。

早く父に会いたいけど、すごく難しそうだから...

でも、きちんと供養をしてあげたら、いつも私のそばにいて
笑ってくれてるだろうから。

遺影の中の父が笑っている。
大槌の事。
東京での仕事。
佐藤家の事。

前へ進もう。
前だけを向いて進もう。



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はまゆりも解体されてしまうし...

モニュメントにするべきだとの声が高かったが
あの日の恐怖を思い出して辛いという、解体希望の声も多かった。

2ヶ月経った。

私は、大槌町役場が送ってくれるメールマガジンを購読している。
大槌町の人たちは知っているのだろうか?

大槌町は携帯やパソコンを使いこなせない年齢の人が多いので
若い人は是非、携帯やパソコンに届いたメルマガの情報を
お父さんお母さん、ご家族、近所の人に教えてあげて欲しい。

大槌町役場の人は、5月の連休中も休まず、ずっとこのメルマガを
送り続けていた。

少しづつ、前へ進んでいる。


以下コピペです。
■いわてモバイルメールの登録について
現在、ホームページと合わせて大槌町の情報をメール(携帯)にて配信しております。
下記のURLから登録することができます。

岩手県携帯サイト→いわてモバイルメール
http://www.pref.iwate.jp/pc/
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# by otsuchi_s | 2011-05-13 19:37

東梅副町長に義援金を渡してきました。 

「がんばっぺし!大槌」で集まった義援金を
本日無事に大槌町東梅副町長に渡す事が出来ました。


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名刺交換しています。

東梅副町長の第一声は「お父さん見つかってないのが?」
「私はお父さんと2回お酒を飲んだ事があるんだよ。」

副町長の人柄なのでしょう、小さく優しい声でお話をします。
失礼を承知であえて書きますが、そのテイストは
あくまで、親戚のおじちゃんです。
(田舎にありがちの話ですが実際、本当に遠い遠い親戚なのですが...)
穏やかで優しい方です。

みなさんの名前が印字された通帳のコピーを見ながらお話をしました。
東梅副町長は「うわぁ〜」「大槌町の人ではない方々がこんなに...」
と本当にびっくりされていました。

そして「ありがとうございます。本当にありがとうございます。」
となんどもなんどもおっしゃってました。

そして、私のとっちらかったお話にも(笑)
じっと耳を傾けて聞いてくれました。

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今回の350万円は
大槌町の小学生の学用品、体育用具を購入してほしい。
そして明細書を是非いただきたいとお話しました。

どのようにこのお金が使われたのか
募金したみなさんにお見せしたいのです。

と伝えたところ「そうですよね〜」と言ってくれましたが...
大丈夫か。
明細書送ってくださいね。
裏切らないでくださいね。
副町長...


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記念撮影。

今回の350万円は小学生にとしましたが
今後集まる義援金はまた使い道を考えて
提案していこうと考えています。


今回、TV取材も入っておりました。
(この映像が使われるかどうかは別として)

そのためかどうかわかりませんが、その時は、副町長はあまりお話を
してくれなかったのですが、取材陣が帰った後たくさんお話が出来ました。


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今、大槌は桜が満開です。
仮庁舎のそばの桜も満開で、花びらが散ってました。
その花びらを見ながらすごくたくさんお話が出来ました。

話が出来て本当に良かったです。


なぜ、大槌町の被害が甚大なのか?
大槌町にだけ高い津波が来たわけではない。

原因が必ずあると思います。

生き残った人は「高台に急いで逃げて間に合った」から生き残った。

逃げ遅れた原因は何?

津波は来ない、来ても大丈夫だ。
と過信したから、逃げ遅れたわけです。

地震が多く津波という言葉に慣れてしまった土地「大槌町」

行方不明の父も逃げ遅れ、高台に避難せず
役場駐車場に津波対策本部を置いた町長以下役場の人間も

「ここは大丈夫」と思い込んでいた。

なぜなら
自分が生きて来た人生の中で
いつも津波は、来てもせいぜい「50センチや1メートル」だから。

毎度流れるのどかで緊迫感の無い、大槌町民なら毎度おなじみの
津波警報は、まるでオオカミ少年の話と同じです。

津波対策本部は中央公民館(高台)に設置するというマニュアルが
あったのに、なぜ実行してくれなかったのか。

役場も、町長も流され、指揮系統が破綻し、震災直後の混乱と
その後の復興の遅れを引き起こした。

役場の対策本部設置場所の判断とその後の結果を考えた時
「それは天災ではなく人災なのではないか」
などと考えた事も正直あります。

でもそれは
父が行方不明でやり場の無い怒りを「誰かのせいにしたい」
という気持ちの裏返しでもある。

私はどうだった?と振り返ったとき、
「大槌町本町は町の中心部だから、津波は【絶対】に来ない」
と思っていた。「絶対来ない」と思っていた。確かに。思っていた。

行政と私はまったく立場が違うから比べるのはおかしいが
とどのつまり、結局はみんな同罪だ。

今、大槌町に大切な事は、数々のミスを認め、
たくさんの命が奪われた事を反省し
自分たちの価値観や意識を変え
役場の人間も町民も復興に向かって
一致団結することだ。

責める事は簡単だ。
やり玉にあげる事は簡単だ。

でも、自らの罪を認め反省をし許す事は一番難しい。

でも、一人一人の人間がそこをしなければ、大槌町は1歩も進まない。
何も変わらない。

復興はあり得ない。

そして、それを伝えることが大槌町の使命だ。
と私は思います。

同じ過ちを繰り返さない為にも。
他の町が同じ過ちを繰り返さない為にも。

3月11日から父を探す為に大槌に戻って
4月1日には「がんばっぺし!大槌」を立ち上げて義援金を集めて
今日大槌副町長に義援金を渡しました。この長い期間。

ずっとずっと考えていた思いです。
副町長に伝えました。

大好きな町、大好きな父。大好きなおじちゃん、いとこ、同級生...
失って見えた物がたくさんあります。

でも、失ってからでは遅いのです。

悔やんでも仕方がないのです。


明日ですが、29日テレビ朝日さんの番組
報道特別番組 (午後1時20分~5時54分)
「つながろう!ニッポン ~テレビが伝えたこと 伝えたいこと~」
の中で、大槌町は5分程度しか写らないそうですが
そこで取材していただきました。

3時頃から岩手県の事を流すそうです。そこのどこかで大槌町が5分くらい
流れるそうです。

みなさま見て下さい。
宜しくお願い致します。
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# by otsuchi_s | 2011-04-28 23:31
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東日本大震災で被災した岩手県大槌町の復興支援情報ブログになります。大槌町復興支援サイト『がんばっぺし!大槌』 http://www.s-inc.jp/otsuchi/


by otsuchi_s
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